玉置の世界遺産を守る会について

熊野三山の奥の院として知られる玉置神社は、奈良県十津川村の最南端、三重、和歌山との三県境近くに位置し、世界遺産「紀伊山地の霊場と三詣道」に指定されています。玉置への信仰とは、社殿や玉石や山頂付近に残された巨杉群だけではなく、玉置の山裾と森林、玉置から流れる水系、静寂な気配、この地域全体の自然に身を置くことであったと思われます。私たちは、「著名で普遍的な価値を持つ生きた伝統や、信仰を、次の世代に伝えてゆく」という世界遺産の精神を尊重し、二千年以上受け継がれて来た文化歴史自然資産を再評価し、さらにこの先千年二千年にわたる将来を見据えた、聖地玉置の持続可能なビジョンが必要と考えています。

玉置の世界遺産を守る会の発足

  1. 2013年 神代杉着生木伐採

    2013年(平成25年)11月、当時の玉置神社弓場宮司と奈良県文化財保護課は、樹齢三千年の御神木「神代杉」に生育していた着生木伐採を強行しました。いく種類もの宿り木を抱えて生きる御神木の姿は、八百万の神々をいだく熊野信仰の象徴として崇められてきたにもかかわらず、当時の宮司は氏子総代会にも計る事なく、崇敬者の意見にも耳を貸さず、何の議論もなされないまま伐採に至りました。計画は一般に知らされておらず、村長や観光課長すら事後に知るありさまでした。
    地元では「御神木を切ってはならない」と言い伝えられており、伐採後の神代杉の姿を見て落胆した地元民は数知れません。

  2. 2014年 玉置の世界遺産を守る会発足

    世界遺産であり熊野信仰の象徴として崇められてきた御神木に刃が入れられた事態に、十津川村内外の有志が「玉置の世界遺産を守る会」を結成。

    2014年(平成26年)5月、 会はネット署名を集め、超党派の議員による「世界遺産国会議員連盟」に調査検討を依頼しました。これを受けた連盟は玉置公良議連特別顧問を調査責任者とし、「玉置の世界遺産を守る会」と共に、玉置神社、十津川村、奈良県、文化庁など関係者への20回を超える面談、現地調査、樹木医への診断依頼、質問状の提出、等を行いました。

    伐採は「着生木により樹勢が衰えている」との県委託樹木医の診断に基づき、奈良県文化財保護課の天然記念物樹木保全事業の一環として行われたものでした。世界自然遺産屋久島では長寿木を守る着生木の価値を評価し、屋久杉と共に手厚く保護されているのに、着生木が樹勢に悪影響を与えていると判断した学術的根拠を県に問いましたが、回答は得られませんでした。
    紀伊山地の世界遺産は、「万物、生命の根源である自然や宇宙に対する畏敬を、山や森に宿る神仏への祈りとして受け継いできた、日本の精神文化を象徴する文化遺産」として評価されたものです。しかし、着生木を抱えた神代杉が八百万の神々の顕現、共生のシンボルとして信仰されていた事実を県は全く無視し、世界遺産精神への配慮をしていなかったことも判明しました。

    2014年10月には、議連より文化庁に対して、世界遺産行政に対する正式な「調査報告と要請文」が提出されました。同様の書面が奈良県教育長、十津川村長、神社宮司にも提出されました。報告書では、「着生木の伐採は不適切であった」と結論し、関係各機関の世界遺産認識の欠如、関係者間の協議連携の不十分などが指摘されました。
    また、今後の課題と提言として、着生木を伐採された後の、神代杉の保全。県、村、神社、地元住民との円滑な意思疎通と情報共有。玉置神社が世界遺産登録された意義や保全について、関係者が共通認識や理念を再確認する必要性が示されました。

    この間の調査課程で、氏子総代会を軽んじて独断的な神社運営を進めた宮司の姿勢が明らかになり、新たな宮司の体制に切り替わる大きな力添えになりました。伐採された着生木も復活して再び生育を始めています。

玉置の世界遺産を守る会 代表

原 秀雄

神奈川県川崎市生まれ。
70年代初頭に横浜国大を中退、都会をはみ出して農の道を求める。
四国の福岡正信氏に師事、自然農法を学び実践する。
信州野辺山、愛媛、諏訪之瀬島、長崎、西表島、屋久島、カリフォルニアなどの田舎暮しを経て、平成元年(1989)アメリカから帰国。

奈良県十津川村の北山川支流最奥の集落に移住。
玉置神社一の鳥居内の、神域に位置する集落であった。

熊野の自然の鮮烈なエネルギーに感応し、田畑をしながら、つる、流木、石などの熊野の自然素材を使った花器、灯り作品などを作りはじめる。
1992年、池袋西武で初個展、大好評を搏し、以後自然アート作家として東京の各デパートやギャラリーを中心に作品展を多数開催。
自然素材を創作の材料としてではなく、完成された大自然(神) の作品としてとらえ、秘められた自然のスピリットが伝わるような仕事を基本姿勢としている。

2014年、前年の神代杉着生木伐採を受けて、他の御神木伐採への危惧を抱く。
氏子総代から対応を依頼され、「玉置の世界遺産を守る会」を結成、代表を勤めている。